雷峰右衛門の碑
資料館前に移設された雷峰右衛門碑
概要
- 指定種別:村指定 有形歴史
- 指定時期:平成19年1月24日
- 所在地 :泉崎字舘24-9
- 所有者 :泉崎村
江戸時代に相撲で活躍した泉崎出身の力士の石碑です。
雷峰右衛門は泉崎外ノ入の穂積家に生まれました。子どもの頃から力持ちで10才半ばには米俵2俵を持ち上げたとの話もあります。
25才の時に江戸入りし音羽山に弟子入りします。
その後、音羽山峰右衛門と四股名を名乗って江戸相撲で活躍しますが、文化3年(1806)に相撲界最強といわれている大関雷電を倒したことから一躍有名になりました。
雷電を倒したときは、江戸から福島まで大金星の知らせが届いたほどです。
引退後は親方となり弟子の育成に努めました。
雷峰右衛門という名は一時期名乗った名前ですが、「雷」という名跡(相撲界や歌舞伎界で代々引き継いでいく名前)が相撲界最強の名誉であることから、彼の死後、親方を慕った弟子たちによって刻まれたと考えられます。
雷峰右衛門の年譜
西暦 | 和暦 | 年齢 | 出来事 | その頃は… |
1771 | 明和8年 | 0 | 泉崎外ノ入の穂積家に生まれる | |
1780 | 安永9年 | 10 | 米俵(2俵)を持ち上げ周囲を驚かせる(伝記) | |
1791 | 寛政3年 | 21 | 泉崎下宿の星家に婿に入る | |
1793 | 寛政5年 | 23 | 星家と離縁し、白河山城屋に奉公する | |
1795 | 寛政7年 | 25 | 江戸へ 3代目音羽山(雷権太夫)へ弟子入り | |
1796 | 寛政8年 | 26 | 初土俵 西三段目21枚目 四股名 泉崎雷助 | |
1797 | 寛政8年 | 27 | 3場所にして西幕下2段目16枚目 | |
1800 | 寛政12年 | 30 | 幕下10枚目(今の十両の前身)へ昇進 | 松平定信「集古十種」完成 |
1802 | 享和2年 | 32 | 師匠の養子となり、4代目音羽山峰右衛門襲名 | 江戸大洪水 |
1804 | 文化元年 | 34 | 前頭5枚目へ新入幕(6勝2敗2分) | |
1805 | 文化2年 | 35 | 最高位前頭3枚目に昇進 「め組の喧嘩」に遭遇(山城屋文書) | |
1806 | 文化3年 | 36 | 2月場所で「雷電」と対決し勝利(6勝1敗1分) | 文化の大火(芝大火) |
1812 | 文化9年 | 42 | 雷峰右衛門に改名 | |
1814 | 文化11年 | 44 | 現役引退(幕内11年) 年寄 音羽山峰右衛門へ | |
1820 | 文政3年 | 50 | 5月20日死去 弟子らによって泉崎太田川・踏瀬境に石碑建立 戒名は「教覚院真阿雷峰居士」 墓所は南蔵院(東京豊島区高田) |
雷峰右衛門の位牌 |
雷峰右衛門の位牌は泉崎村の昌建寺で大切に保管されています。 お墓自体は東京豊島区の南蔵院というお寺にありますが、彼の死後、家族によって位牌だけ生家である穂積家に届けられました。 |