関和久官衙遺跡
概要
- 指定種別:国指定 史跡
- 指定時期:昭和59年7月21日
- 所在地 :関和久字明智・中宿、北平山古寺ほか
- 所有者 :泉崎村ほか
関和久官衙遺跡は、約1300年前から250年間にわたって古代白河郡(現在の福島県南地方と石川町の一部)を統治していた白河郡役所跡です。
昭和47年から10年間におよぶ調査の結果、正倉院や舘院とよばれる役所施設の一部が見つかりました。
実は調査をさかのぼること数十年前の大正時代から古瓦とよばれる模様のはいった瓦が見つかる地域として注目をされていた場所でした。
古瓦は役所のような建物にしか使われなかったものなので、これが見つかる場所には、役所跡やそれに関連する遺跡があると考えられています。
発掘調査は遺跡全体の1割にも満たない範囲しかおこなわれていないので、今後の調査で新たな発見が期待されています。
古代白河郡の全貌
関和久官衙遺跡のほか、古代白河郡役所に関連した遺跡には関和久上町遺跡や関和久窯跡などがあります。また、古代役所には必ず専用の寺院が造られましたが、泉崎と阿武隈川をはさんだ白河市側に借宿廃寺という寺院跡が見つかっています。
郡役所につくられる施設には政治を行う郡庁院や高級官僚などが宿泊する舘院、住民から徴収した税(穀物)を徴収する倉が立ち並ぶ正倉院、料理をつくる厨院などがあります。
このうち調査によって舘院と正倉院とみられる施設は見つかっていますが、他の施設が関和久上町遺跡などにあるかもしれません。
関和久官衙遺跡と関和久上町遺跡
関和久上町遺跡の建物跡
関和久官衙遺跡の東方に関和久上町遺跡がある。昭和57年から平成3年まで福島県教員委員会によって発掘調査が実施された結果、関和久官衙遺跡と同じ時期の建物跡などが発見されました。
上町遺跡は住宅街が立ち並び調査した場所が断片的であったため、白河群役所のどのような施設であったかは明らかになっていません。
しかし、建物の中には関和久官衙遺跡で発見されるよりも規模の大きなものもみられることから、一時期郡庁院があった可能性もあります。
いずれにしても関和久官衙遺跡にかけて実に1kmにおよぶ広大な範囲に古代白河郡役所が存在していたと考えられます。